garamanのマジック研究室

天一 一代

松旭斎天一の伝記です。サブタイトルは「明治のスーパーマジシャン」。決して明治期にちょっと活躍したという程度のマジシャンではありません。明治以降から今日に至るまでのマジシャン全ての中でも、一歩抜きん出た存在です。天一は、水芸などの、所謂「和妻」の名人として、日本中の劇場を沸かしました。和妻の名人でありながら、彼は「西洋奇術の父」と呼ばれる程、海外の奇術を積極的に取り入れていました。確かな伝統技術を持った名人が、目新しい海外の技術も取り入れ、その両方において、第一線で活躍していたのです。全盛期には、歌舞伎の人気をも上回るほどの盛況振りでした。その活躍ぶりは日本国内に留まらず、アメリカやヨーロッパでも公演を成功させています。国内では明治天皇や皇族の前で展覧興行を行い、国外でも王様や貴族の前で奇術を披露しています。

1853年(嘉永6年)、福井の武士(といっても、福井藩の家老職についていた狛家の、さらに家来)の家に生まれた、「牧野 八之助」という悪童が、いかにして世界に飛び出して活躍するに至るのか、その奇想天外な人生が綴られています。

「牧野 八之助」が「服部 松旭」と名を変え「松旭斎天一」となり、その後の松旭斎一派を生み出していきますが、天一の又甥にあたるのが、後にマジックメーカー・テンヨーの創業者となる「松旭斎天洋」です。松旭斎天洋が80歳の頃、奇術用品を扱っているとき、よく顔を出していた10代の少年マジシャンがいました。松旭斎天洋は、尊敬する松旭斎天一の話を、その10代の少年に何度も聞かせていたそうです。時に天一の口癖や声色をまねて、リアルな天一像を伝えられたその少年は、後に「藤山新太郎」として、和妻の第一人者として活躍します。その藤山新太郎氏が心を込めて書き上げたのが、この1冊です。

藤山 新太郎
NTT出版

レビュー

なし